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弘前市のあゆみ

弘前のおいたち

「津苅」「東日流」とも記された津軽が、正史に見えるのは、斉明天皇元年(655年)、津苅蝦夷6人に冠位を授けたとあるのが最初です。
鎌倉・室町時代には、安藤氏が津軽を支配。その安藤氏も、14世紀初頭に勢力を弱め、のちに初代津軽藩主となる為信が津軽の統一を果たします。
為信は領内の開発を進め、慶長8年(1603年)に、後に弘前となる高岡の地に、町割りや、新城の建設を計画しました。
その遺志は2代藩主信枚(のぶひら)に受け継がれ、慶長16年(1611年)に完成し、城下町弘前が誕生しました。以後、津軽地方の政治・経済・文化の中心として繁栄します。

 

【寛永末期(1643年)ころの町割り】「寛永の絵図」より

 

明治維新のあと

12代藩主承昭(つぐあきら)のとき、明治維新が起き、明治4年7月、廃藩置県によって「弘前県」となります。9月に弘前県は青森県と改称され、県庁も弘前から青森へと移りました。
明治22年4月に市町村制が実施されたとき、全国30市とともに市制を施行し、本県の中枢的役割を果たしました。
明治27年には弘前・青森間に鉄道が開通し、31年に第八師団司令部が設置され、軍都としての歩みを続け、さらに大正10年には、現在の弘前大学の母体となる、官立弘前高等学校が開校し、学問的文化的な薫りは、地方文化の水準を高める基礎となりました。


鉄道が開通したころの弘前駅 

 

戦後

幸いにも戦災をまぬがれて終戦を迎えた弘前市は、お城とさくらに代表される数々の文化遺産と、恵まれた自然環境を土台に文化都市として発展し、現在では弘前大学をはじめ、大学 4校と短期大学 2校、高等学校 11校を有する、東北屈指の学園都市として成長を遂げています。
また、昭和30年、32年には、周辺12町村と合併し、りんごと米の田園都市、全国一のりんご生産圏としての地歩を築いています。


発展を目指す弘前市

 

現在

人口の減少や少子高齢化の進展、日常生活圏の拡大、行政ニーズの多様化・高度化、厳しい財政状況など、地方を取り巻く環境が大きく変化しています。これらの課題に的確に対応し住みよい地域社会を実現するため、平成18年2月27日、弘前市、岩木町、相馬村の3市町村が合併し、新しいまち「弘前」が誕生し、津軽地方の経済・文化をけん引しています。


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