仲町伝統的建造物群
【STORY20】仲町伝統的建造物群
弘前の城下町は、南北に長く東西に短いほぼ長方形の弘前城を、自然地形を活かしながら四方から取り囲むように配置されました。現在の北門(亀甲門)が当初の弘前城の正門であり、その北側に町人町(亀甲町)をはさんで、侍町が配置されました。この侍町(通称:仲町)のほぼ3分の2、面積約10.6ヘクタールが保存地区の区域です。
保存地区は往時の地割りをよく残しているほか、道路沿いに連続するサワラの生垣、点在する門や板塀、前庭の樹木が独特の景観を生みだし、前庭の奥に建つ木造真壁造の主屋とともに城下町の雰囲気を残しています。
旧岩田家住宅(県重宝)
この建物は、寛政時代末から文化年間(1800年前後)に建てられたものと考えられます。数度の改造を受けていますが、主要な構造・部材はほぼ建築当初のままで今日に至っています。門、土地と共に弘前市に寄贈され、往時の姿に復元されています。
弘前城下の中級武士の住宅で、また敷地利用も旧態を保ち、当時の生活を知ることができます。
旧伊東家住宅
この建物は元藩医の住宅で、昭和50年代に市内元長町から保存地区に移築・復元されたものです。造作等の特徴から19世紀初期の建築と考えられます。移築に際しての解体修理で藩医時代に合わせた復元がなされており、江戸時代後期の住宅の様子がわかります。玄関を式台構えとし、広間、座敷、板の間、次の間、常居の各部屋をほぼ正方形にとり、広間と常居の上には中二階が造られています。
旧梅田家住宅
この建物は、約160年前の江戸時代末期、嘉永年間に建てられた武士の住宅で、市内在府町にあったものを昭和57年に弘前市が寄贈を受け、保存地区に移 築・復元工事を行い、昭和60年から一般に公開しています。全体的に南面と東面は開口部が多く開放的な雰囲気を持つのに対して、西面は勝手口のほか窓が、 1ヶ所、北面は煙出し思われる高窓を1階に設け、2階の窓を開くだけの閉鎖的な造りになっています。これは、冬期間の北西からの季節風に対応したものと考 えられます。