金魚ねぷた
【STORY38】金魚ねぷた
「金魚ねぷた」は組ねぷたの源であると言われています。昔は骨組を竹で作っていましたが、現在は針金で作られたものが主流となっています。
弘前では藩政時代、殿様が金魚を愛好したことから、家臣の武家たちが金魚の改良を重ね、「津軽錦」と称される地金魚が生まれました。そして、「津軽錦」を飼うことは武士だけに許されていました。
この金魚にあこがれを抱いた津軽の農民たちが、竹で作った骨組みの上に紙を貼り、墨で顔を描いたものを、金魚として子供たちに与えていたそうです。
これが、金魚ねぷたの始まりと言われています。