弘前城
【STORY57】弘前城
1611年に津軽藩藩主、津軽信枚が建てました。別名・鷹岡城、高岡城とも言われます。天守は、もともと華麗な五層の天守で、本丸西南隅にありましたが、1627年に落雷で焼失。再建しようとしましたが、当時の法律「武家諸法度」では天守の新築を禁じていたため、やむなく隅櫓の名目で幕府の許可を得て、今の三層の天守にしたのだそうです。
弘前の天守は、江戸時代に再建された天守としては関東以北唯一のもので、現存12天守の1つに数えられており、国の重要文化財に指定されています。現在でも弘前のシンボルとして人々に親しまれています。
弘前城本丸石垣修理事業
弘前城本丸東面の石垣には、以前から膨らみが確認されており、崩壊する危険性が指摘されていたため、平成20年から石垣や土木工学等の専門家からなる弘前城跡本丸石垣修理委員会を組織し、検討してきました。その結果、平成26年度から石垣修理に着手し、修理範囲は天守台南側に約10m、東側約100mと決定しました。
今年の秋頃には天守下の内壕を埋め立て、天守曳屋工事のための仮設基礎を設置する予定です。
また、平成27年の秋には天守を本丸内側に曳屋する予定です。石垣修理工事には約10年を要し、天守を元の位置に戻すまでにも、5年以上はかかると見込まれています。