弘前城本丸天守台の下から縄文時代晩期の盛土遺構発見(2024.07.29)
令和3年度から石垣積み直し工事を行っている、弘前城本丸東面の南端に位置する天守台の下から縄文時代晩期後葉の盛土遺構が発見されました。
盛土遺構とは、縄文時代の人々が集落の周りに土や土器などを捨てた結果、小高いマウンド状になったもので、この中から多くの土器や石器などが出土しています。今回発見されたものは集落を囲む直径約45mの環状の盛土遺構と考えられ、拠点的な集落があったことを示すもので、弘前の市街地では初の事例となります。
江戸時代になって、この遺構の上に盛土し城(本丸)を築いたため、元々地表面にあった遺構が深い位置に埋まったことで、結果的に荒らされることなく良好な状態で保存されていました。
弘前城周辺は、縄文の人々にとっても暮らしやすい場所だったようです。
※遺構は測量による図化と写真での記録に残し、再び深い位置に埋めた状態で保存します。この調査は天守基礎の耐震補強を行う場所を事前に調査したものであり、石垣積み直しについては引続き進め、令和6年度中の完成を目指します。また出土品に関しては弘前城情報館で展示しております。
※写真1枚目黄色で囲った位置で盛土遺構が発見。2地点の間は約45m