弘前城築城400年祭について
弘前城は、藩祖為信公により計画され、二代藩主信枚公により慶長16年(1611年)に完成しました。
以来、弘前市は、先人達のたゆまぬ努力により津軽地域の政治・経済・文化の中心都市として発展してまいりましたが、来る平成23年(2011年)には築城400年の節目の年を迎えることとなります。
弘前城の築城は、現在の弘前のまちなみ形成の礎であり、築城から400年を迎えることは、歴史的にも、まちづくりの観点からも非常に大きな意義があります。
また、この機会を、先人の歩みを振り返りながら新たな未来へ踏み出す第一歩と位置づけ、平成23年に、市民と共に全市を挙げて「弘前城築城400年祭」を実施することといたします。
弘前城の現状と歴史
弘前城は、「お城と桜とりんごのまち」弘前市のシンボルであり、市民の憩いの場となっているほか、毎年、国内外から数多くの観光客が訪れる名所です。
津軽家2代藩主信枚の手により慶長16年(1611年)に弘前城は完成しましたが、築城に当たっては、家臣団や商工業者、神社仏閣が城下に集められており、築城は大きなまちづくり事業でした。
弘前城は築城以来、5層の天守の落雷焼失や本丸御殿の解体など、幾多の変遷があったものの、今なお3重の濠や、天守を含む4つの櫓、5つの城門などが現存する貴重な文化遺産であり、平成23年(2011年)には、築城400年の節目を迎えます。
弘前城築城400年祭 題字・シンボルマーク・マスコットキャラクター
くわしくは次の各ページでご覧いただけます。
弘前城築城400年祭の目的と実施方針
弘前城が築城400年を迎えることを記念し、次の目的と実施方針に基づいて、各種記念事業を行います。また、この各種記念事業全体を「弘前城築城400年祭」といいます。
【目的】 |
ア. | 築城以後の先人の歩みを振り返りながら、市を挙げて築城400年を祝う。 |
イ. | 築城400年を、地域活性化の好機、新たな未来へ踏み出す第一歩として捉え、幅広い事業展開を図る。 |
【実施方針】 |
ア. | 実施する事業は、弘前公園の整備改修、史跡・文化財の保存活用、文化活動の振興、中心市街地の活性化、都市計画、観光の振興など広範囲にわたるものとする。 |
イ. | 事業の実施は、弘前城に限らず市全域を会場とするほか、対象とする時代は、築城から現在までの期間とする。 |
ウ. | 事業期間は、平成22年12月に予定されている東北新幹線新青森駅開業との連続性を考慮して、平成23年1月から12月までとする。 なお、平成22年4月から12月まではプレイベント期間とする。 |
エ. | 事業の企画・実施に当たっては、官民一体となった実行委員会方式を採るほか、専門部会に公募委員を入れ、事業のアイディアを市民からも募集する。 |
【目的・実施方針を実現するための事業戦略】 |
実施方針に沿って目的を達成するため、次のとおり“戦略”を構築する(※)。 | |
※ | 弘前城築城400年祭のプレイベント期間に突入してほぼ半年を経過し、当初予定していた400年祭記念事業に加え、後援事業等も増加したことから、400年祭の意義・目的を再確認するとともに、あらためて広く内外に周知するために、平成22年11月2日弘前城築城400年祭実行委員会で「戦略」等を追加承認したもの。 |
戦略1 先人たちの教えに学ぶ 弘前は世界自然遺産白神山地の恩恵を受けた豊かな自然のもとに、長い歴史を育んできました。この歴史の歩みは“先人の知恵rdquo;の宝庫です。 私達は、築城400年祭という歴史の節目を、先人たちの教えに学ぶ契機として位置づけ、労苦を偲び、英知を伝承していきます。 戦略2 地域の資源を掘り起こし、磨き上げる 弘前は、藩政期の“和”の要素から、明治期以降の“洋”の要素、北東北の学都を誇る知的資源や文化資源など、幅広い“地域資源の宝庫”です。 400年祭は、既に進めている弘前感交劇場の取り組みなどと連動させて、“地域資源を掘り起こし、磨き上げる契機”として位置づけます。 戦略3 新たな未来を築く 400年祭は常に“未来”を見据えて進めます。 私達は400年祭を単なる回顧の祝祭やイベントの場としてとらえるのではなく、新たな弘前を築く第一歩、“未来を指向する契機”として位置づけ、弘前市内外の多くの人々が参画し、“未来へ向けた一里塚”として継続的な事業展開が図れるような仕組みづくりをしていきます。 【戦術 — 事業構成と各事業の位置づけ — 】 上記の戦略に基づいて実施する各事業単位を“戦術”と位置づけ、次のPDFファイル「弘前城築城400年祭 事業体系図」のとおり構成する。 弘前城築城400年祭 事業体系図 |