歴史的風致形成建造物とは、地域における歴史的風致の維持委及び向上に関する法律(以下「歴史まちづくり法」という。)の規定に基づいた「弘前市歴史的風致維持向上計画(以下「歴まち計画」という。)で定めた重点区域内において、当市の歴史的風致の維持及び向上のために、必要かつ重要と認められる建造物等の意見を聞いて、市が指定するものです。指定を受けた建造物は、所有者等が適切な管理義務を負うほか、増築、改築、移転又は解体を行う場合は市への届出が必要となります。なお、指定期間は歴まち計画の計画期間内に限るものとなっております。
指定対象は、国指定の重要文化財建造物等及び重要伝統的建造物保存地区における伝統的建造物群を構成する建造物を除く重点区域内の歴史的建造物で、次のいずれかに該当する建造物とします。
【平成31年4月1日指定】
指定番号 | 建造物の名称 | 歴史的風致 |
第1号 | 旧第八師団長官舎(弘前市長公舎) | 弘前ねぷたまつりに見る歴史的風致 |
第2号 | 弘前さくらまつりに見る歴史的風致 | |
第3号 | 旧藤田家別邸 | 弘前さくらまつりに見る歴史的風致 |
第4号 | 弘前市庁舎 |
弘前さくらまつりに見る歴史的風致 弘前ねぷたまつりに見る歴史的風致 |
第5号 | 旧弘前市立図書館 |
弘前さくらまつりに見る歴史的風致 弘前ねぷたまつりに見る歴史的風致 |
【令和3年5月21日指定】
指定番号 | 建造物の名称 | 歴史的風致 |
第6号 | 川﨑染工場 |
弘前さくらまつりに見る歴史的風致 津軽伝統工芸職人たちに見る歴史的風致 |
第7号 | 旧一戸時計店 | 弘前ねぷたまつりに見る歴史的風致 |
指定番号 |
第1号 |
所在地 |
弘前市大字上白銀町 |
指定年月日 |
平成31年4月1日 |
所有者・管理者 |
弘前市 |
建築年代等 |
大正6年/昭和34年移築/平成25年移築 |
外観の特徴等 |
旧第八師団長官舎は、史跡弘前城跡である弘前公園の南側、弘前市役所の敷地内に北側を正面にして建っている。昭和20年まで第八師団長官舎として使われ、敗戦とともにアメリカ軍駐留部隊司令官舎として使用されたが、昭和25年の駐留軍引き上げの翌年に、弘前市への払い下げが決まっている。昭和33年の弘前市役所新築に伴い、ほぼ3分の2を解体し、残りを移築して市長公舎として活用、平成25年に現在地に移築し、喫茶店として活用している。 |
備考 |
平成15年:登録有形文化財指定 平成26年:景観重要建造物指定 平成20年:「趣のある建物」指定 |
指定番号 |
第2号 |
所在地 |
弘前市大字紺屋町 |
指定年月日 |
平成31年4月1日 |
所有者・管理者 |
弘前市 |
建築年代等 |
昭和8年頃 |
外観の特徴等 |
旧弘前市消防団西地区団第四分団消防屯所は、史跡弘前城跡でもある弘前公園の西堀北端にある亀紺橋に隣接して建っている。 |
備考 |
平成20年:「趣のある建物」指定 |
指定番号 |
第3号 |
所在地 |
弘前市大字上白銀町 |
指定年月日 |
平成31年4月1日 |
所有者・管理者 |
弘前市 |
建築年代等 |
・洋館…大正10年 ・和館…昭和12年/昭和36年(板柳町から移築) ・倉庫…大正10年 ・冠木門及び両袖番屋…大正11年 |
外観の特徴等 |
大正8年、弘前市出身で日本商工会議所会頭を務めた実業家・藤田謙一の所有となり、東京から庭師を招き築庭させた邸宅で、建物等は大正11年に完成した。 |
備考 |
平成15年:登録有形文化財(洋館、和館、倉庫、冠木門及び両袖番屋) 平成24年:景観重要建造物 平成20年:「趣のある建物」指定 |
指定番号 |
第4号 |
所在地 |
弘前市大字上白銀町 |
指定年月日 |
平成31年4月1日 |
所有者・管理者 |
弘前市 |
建築年代等 |
昭和33年 |
外観の特徴等 |
弘前市庁舎本館は、国の重要文化財となった木村産業研究所、弘前中央高校講堂に続く、弘前市内に建つ前川國男による設計の建築であり、弘前市発注の前川が手掛けた公共施設6棟の最初の建物である。 |
備考 |
平成27年:登録有形文化財(前川本館) 平成26年:景観重要建造物(前川本館及び新館) 前川國男が弘前市で3番目に設計した建造物 |
指定番号 |
第5号 |
所在地 |
弘前市大字下白銀町 |
指定年月日 |
平成31年4月1日 |
所有者・管理者 |
弘前市 |
建築年代等 |
明治39年 |
外観の特徴等 |
旧弘前市立図書館は、明治39年3月、堀江佐吉・斉藤主ら5名の手によって、東奥義塾の敷地に建てられ、市に寄付されたものである。昭和6年、東奥義塾校舎拡張に伴い、解体・移転することになり、堀江家子孫に払い下げられ、市内富野町に移築された。昭和38年、古川尚三氏の所有となり、これを改装し、学生アパートとして使用されてきた。昭和62年、新たにアパートを建設することになり、建物が市に寄贈されることとなった。平成元年、市制百周年記念施設の一つとして現在地に移築・復元されたものである。 |
備考 |
平成5年:県有形文化財指定 |
指定番号 |
第6号 |
所在地 |
弘前市大字亀甲町 |
指定年月日 |
令和3年5月21日 |
所有者・管理者 |
個人 |
建築年代等 |
江戸時代末期と推定 |
外観の特徴等 |
<沿革> 建築年代は特定されていないが、天明・寛政年間(1781~1801年)ないし文化・文政年間(1804~1831年)あるいはそれ以前のものと推定される。 【明治34年】周辺火災の類焼の際、西側部分を縮小、屋根全面葺き替えを含む修理を実施。 【昭和初期】東面道路拡幅による東面を切断。天然藍染から化学染料に転換。以後、通りに面した部分(みせ)は貸店とする。 【平成3年】台風19号により被災。修復工事を実施。明治期に埋められた藍甕が掘り出され、天然藍染を復活。貸店としていた「小店」を復元。 【平成4年】藍染の体験施設として一般に公開。
構造は木造一部二階建、切妻造の平入。屋根は亜鉛引鉄板仮葺。南面西側延5.73mの笠付板塀を付属。江戸時代の紺屋の風情を今に伝える町屋建築である。 建築内部は、ちょんな掛けの柱梁、鉈を用いた手割の屋根板、丸太の屋根たる木といった特徴ある建築様式が見られるとともに、藍瓶、井戸、流し場、かまどといった染工場と染工具類が維持されており、また通り土間に沿った囲炉裏付きのじょい、床の間縁側付きの座敷、釣り上げ式潜り戸付き大戸といった町屋の特徴が維持されている。 明治以降の化学染料の普及によって天然藍染は衰退していったが、寛政時代に創業したといわれる川﨑染工場だけが当時の建物と藍がめ、藍場を使用して天然藍染の技術を継承しており、津軽伝統工芸職人たちに見る歴史的風致を形成している。 また、本建造物は仲町重要伝統的建造物群保存地区の入口に位置し、隣接する石場家住宅と弘前城跡外濠、亀甲門とが一体となって連続的な歴史的景観を形成。春には弘前さくらまつりと一体となって歴史的風致を形成しており、その保全を図るため歴史的風致形成建造物に指定するものである。 |
備考 |
平成20年:「趣のある建物」指定 |
指定番号 |
第7号 |
所在地 |
弘前市大字土手町 |
指定年月日 |
令和3年5月21日 |
所有者・管理者 |
法人 |
建築年代等 |
明治32年 |
外観の特徴等 |
<沿革> 【明治32年】神保時次郎により神保時計店として開業。 【明治42年】現存する時計塔を設置。 【明治末~大正初期】神保時計店閉店、蓬莱橋脇で仙台三原堂時計店支店を営んでいた西成田軍三郎氏に店舗譲渡。西成田氏は親方町の時計商川村喜三郎氏に依頼し、時計塔を一面から三面に改造。 【大正9年】下土手町で営業していた一戸時計店が西成田氏より店舗譲り受け、移転開業。 【昭和39年】道路拡張並びにアーケード設置により道路側の一部を撤去し、時計塔を現在の位置に移設。 【平成25年】交通事故により店舗部分破損、修復。
構造は木造二階建の一部蔵造り、屋根はカラー銅板立平葺、時計台はカラー銅板菱葺。 竣工当時(神保時計店)の店蔵の建築は、その後改修されて蔵を取り込んだ建物として外観は変容しているものの、現在も蔵造りの様式を維持しており、明治期の商店・町家の特徴を現代に伝えるものとなっている。道路拡張時に道路に平行に撤去したため、平面が矩形ではなく、正面向かって右が左より奥行きが長いため、屋根が少し下がって、軒先が斜めになっている。 平成25年の交通事故により店舗部分が破損したものの、従前と同様の木材を活かした修復工事が行われている。 当建築の象徴ともいうべき時計塔は100年以上維持されており、当市の中心市街地である土手町のランドマークとして市民に広く親しまれている。 当建造物を背景に土手町を練り歩く「ねぷたまつり」の歴史的風致を形成しており、その保全を図るために歴史的風致形成建造物に指定するものである。 |
備考 |
平成20年:「趣のある建物」指定 |
担当 都市計画課 景観係
電話 0172-34-3219