国の重要文化財に指定されている天守や櫓、城門は、昭和30~40年代の保存修理工事から、約70年の歳月が経ち、各部材に傷みが見られるようになったことから、耐震補強を含めた「令和の修理」として、重要文化財9棟の修理を順次進めており、令和3~4(2021~2022)年度には、二の丸南門と三の丸追手門の保存修理工事を行いました。
令和7~8(2025~2026)年度では、二の丸東門と北の郭北門の保存修理工事を計画し、令和7年9月に着工したもので、令和8年3月末時点の進捗状況をお知らせします。
なお、二の丸東門と北の郭北門については、弘前城かわら版vol.14(二の丸東門)
・vol.15(北の郭北門)
をご覧ください。
また、工事内容については、本ホームページトップ下段の工事内容
をご覧ください。
隅棟や降棟の銅板を取外した状況です。昭和31~32(1956~1957)年の保存修理工事で取り替えた部材には「昭和三十一-二年之修補」という焼印や当時施工した大工の名前の墨書を確認しました。
写真左上:二の丸東門北西隅棟・降棟(右が隅棟)
写真右上:二の丸東門北西隅棟
写真左下:二の丸東門北西降棟
写真右下:北の郭北門南東隅棟「昭和三十二年修補」焼印
隅棟・降棟材を取外した状況です。
写真左:北の郭北門北西隅棟取外し状況
写真右:二の丸東門北東隅棟取外し状況
鯱を大棟から取外し、さらに鯱の銅板を取外した状況です。傷み等を確認し補修する箇所を検討していきます。
写真左上:北の郭北門南鯱
写真右上:北の郭北門南鯱取外し状況
写真左下:北の郭北門北鯱の木部(側面)
写真右下:北の郭北門北鯱の木部(背面)
棟先に取り付けている鬼板を取外し、銅板を外して木部の傷みを確認します。また、取り外して補修した鬼板等は工事現場内に特別展示しています。間近で見ることができる機会ですのでぜひご覧ください(令和8年8月まで展示予定、時期により展示する部材は異なります)。
写真左上:北の郭北門大棟北鬼板の木部(表面)
写真右上:北の郭北門鬼板の木部(裏面)
写真左下:補修した鬼板木部(矢印が主な補修箇所)
写真右下:北の郭北門大棟北鬼板の特別展示状況
屋根の銅板を取外し、木部の傷みを確認します。補修する部分には「令和七~八年度修補」と焼印をつけた部材に差し替えます。これにより後世に再度保存修理工事等で銅板を取り外した際に視認しやすくします。

写真左上:北の郭北門西面屋根銅板取外し状況
写真右上:二の丸東門屋根先銅板取外しの状況
写真左下:北の郭北門2階東面軒先の補修材「令和七~八年度修補」焼印
写真右下:北の郭北門2階東面軒先の江戸時代の部材と昭和・令和の補修材(赤線が令和の補修材、青線が昭和の補修材、他は江戸時代のものと考えられる部材)
傷みが激しい銅瓦については新規に作成し取り替えます。三つ巴文様をあしらった銅板を木部に巻きつけて軒丸銅瓦を製作しています。光沢のある赤茶色の軒丸銅瓦をそのまま使用すると、屋根上で新旧の銅板に差が生じるため新しい銅板を硫化銅被膜を生成(緑青化)させてから葺き直しします。
写真左上:二の丸東門軒丸瓦(先端が軒丸瓦)
写真右上:木部への銅板巻きつけ・整形の様子
写真左下:製作した軒丸銅瓦
写真右下:緑青化させた軒丸銅瓦
二の丸東門の屋根銅板等を剝がして調査をしたところ、丸銅瓦の裏面に「十二乙亥四月」、大棟下に置かれた杮板に「文化十二歳乙亥五月吉日」、西大鬼板に「文化十二乙亥」という墨書を発見しました。
弘前藩庁御国日記によると、宝暦4(1754)年3月2日に木製屋根に銅板を被せる「銅瓦葺」へ順次更新する方針が決定されています。二の丸東門においても江戸時代後半には本瓦葺から銅瓦葺へ葺き替えしたものと考えられます。弘前藩庁御国日記の文化12(1815)年7月21日条には「内東御門(二の丸東門)御修復」という記載があり屋根の葺替等が行われていたものと想定されます。今回の発見は、それを裏付ける貴重な発見となります。


写真左上:丸銅瓦裏面墨書「十二乙亥四月」
写真右上:杮板墨書「文化十二歳乙亥五月吉日」
写真左下:西大鬼板(墨書は写真中央)
写真左下:西大鬼板墨書「文化十二乙亥」