



昭和43年、今官一は『〈青春の伝記〉太宰治(上)おしゃれ童子の巻』を刊行。その続編として「乞食学生」の巻の原稿を書いていた。前者で太宰が「いやおうなしに外から与えられるもの」、後者で「積極的に外に求めたもの」を解明したいという官一の意図があった。しかし、「乞食学生」の巻の出版は実現しなかった。 〈青森県近代文学館蔵〉

今官一の小説「海の百合」は、海を見下ろす別荘に住む戦争未亡人が、「半開きの、つぼみのままで」毎夜誰かを待つ話。若き「憂愁夫人(ふらう・ぞるげ)」の心理の動きが美しい旋律を奏でる。「海の百合」は昭和24年に脱稿し、31年、小説集『壁の花』に収録された。同年7月、官一は『壁の花』で第35回直木賞を受賞する。

同人雑誌『青い花』の創刊(昭和9年12月)に向けて、太宰治の意気込みを伝える書簡。「ぜひとも文学史にのこる運動をします。(中略)地平 今官ともに大熱狂です」と、同人となる中村地平、今官一の名もあげてその高揚感を記す。 〈青森県近代文学館蔵〉

今官一の第一小説集『海鷗の章』(昭和15年)の寄贈に対する礼状。「北国に住む人の雪の情熱を嘆じ乍ら読みました。(中略)あなたを象徴の詩人だと思ひました」とその感想を記す。山岸外史は『青い花』『日本浪曼派』などで官一や太宰と親交を結んだ。

今官一は太宰治を「生涯の友人」と記し、そこには「100年でも何も知らぬ/3秒でもすべてを知る 友もある」という印象的なフレーズが書かれている。官一はこのメモで、「謎」をキーワードとして、太宰の生涯と作品を解明しようとしている。

今官一は戦艦長門に乗艦する際、手元に1冊だけ残っていた15㎝×21㎝大のノートを上下に分断し「長門配乗記」と名付けた。それを二つ折りにし、折り目に「チビた鉛筆」をはさみ、上着の胸ポケットに納めた。昭和19年7月3日の長門乗艦から11月25日の横須賀帰還まで、日々の見聞を「遺書」を書くような思いで書きとめたという。官一の『不沈〈戦艦長門〉』(昭和47年)は、「長門配乗記」をもとに書かれた1冊である。 〈青森県近代文学館蔵〉

画:阿部龍応(合成) 〈青森県近代文学館蔵〉

今官一のパイプに関連して次のような文章がある。「今官一のトレードマークは、大きな頭にべレー帽をかぶり、ギョロリとした眼の温顔に-羞恥を隠すためであろうか-パイプをくゆらすポーズだった。強い津軽弁訛りに、外国語をちりばめる彼の語り口は、饒舌でHigh-brow(高踏的)な独特の文体にも現れている」。(佐賀郁朗『世も幻の花ならん 今官一と太宰治・私版曼荼羅』)。 〈青森県近代文学館蔵〉
今官一の文学碑の碑文はこの書をもとにした。 〈個人蔵〉

・会期中、展示資料の入れ替えを行います。また、写真・複製による展示を行う場合があります。
〈桜桃忌〉命名
第一章 わが友 太宰治
誕生
出会い
文壇デビュー
誠実、花咲いては、愛情
作家としての転機
碧落の碑
治さん。さやうなら。
第二章 『壁の花』直木賞受賞70年
今官一代表作品
『海鷗の章』
『龍の章』
『幻花行』
『壁の花』
『牛飼いの座』
『巨いなる樹々の落葉』
寄稿「今官一文学の魅力-『壁の花』を中心に-」仁平政人(東北大学大学院文学研究科教授)
今官一愛用の品
原画
今官一文学碑
今官一色紙
今官一アルバム
今官一単行本一覧
陸羯南、佐藤紅緑、葛西善蔵、福士幸次郎、一戸謙三、高木恭造、平田小六、太宰治、今官一の9名の文学者の著書、原稿、遺品などの資料を展示しています。
石坂洋次郎の誕生から晩年までの写真や年譜パネル、著書、原稿などを中心にした「石坂洋次郎のあゆみ」、映画化された作品の全リストと映画のポスター、スチール写真、原作の図書などで石坂文学の魅力を探った「石坂文学とシネマの世界」、家具や愛用の遺品などの実物資料により生活や人柄を紹介した「人と生活」の3つのコーナーを設けて展示し、石坂洋次郎の人と業績を詳しく紹介しています。
一戸謙三、高木恭造、植木曜介の作品5編を、朗読と映像で鑑賞できます。

担当 郷土文学館
電話 0172-37-5505