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津軽の文学者たち(常設展の十人)

陸羯南

 

陸羯南(くが かつなん)

安政4(1857)年10月14日~明治40(1907)年9月2日

ジャーナリスト

弘前市在府町に生まれる。上京して太政官御用掛となるが、明治22年新聞『日本』を創刊。たびたびの発行停止処分に屈せず政府批判の論陣を張り、新聞人として活躍した。また、郷党の後輩に大きな影響を与え、正岡子規を亡くなるまで庇護したことでも知られる。

 

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佐藤紅緑

 

佐藤紅緑(さとう こうろく)

明治7(1874)年7月6日~昭和24(1949)年6月3日

俳人、劇作家、小説家、児童文学作家

弘前市親方町に生まれる。陸羯南の玄関番となり、日本新聞社を初め諸新聞社の記者として活躍。数多くの小説や戯曲を発表して作家として注目される。『少年倶楽部』に連載した「あゝ玉杯に花うけて」など、一連の少年小説が有名である。

 

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葛西善蔵

 

葛西善蔵(かさい ぜんぞう)

明治20(1887)年1月16日~昭和3(1928)年7月23日

小説家

弘前市松森町に生まれる。上京をくりかえし、苦学しながら小説を書く。終生、病苦、文学苦、家族苦に悩まされるが、「哀しき父」「子をつれて」などの好短編を残し、「私小説の神様」とも称される大正期を代表する作家である。

 

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福士幸次郎

 

福士幸次郎(ふくし こうじろう)

明治22(1889)年11月5日~昭和21(1946)年10月11日

詩人、民俗学研究家

弘前市本町に生まれる。上京後、佐藤紅緑の書生となって薫陶を受ける。教師として子弟の指導に当たったほか、「地方主義の行動宣言」を発表、地方文化の種を蒔いた。詩集『太陽の子』『展望』の他に「原日本考」「日本音数律論」などの論評がある。

 

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一戸謙三

 

一戸謙三(いちのへ けんぞう)

明治32(1899)年2月10日~昭和54(1979)年10月1日

詩人

弘前市本町に生まれる。福士幸次郎に師事し、仲間と「パストラル詩社」を創設。教職に就きながら詩の実作や詩評論を幅広く展開し、若い詩人の指標となった。津軽方言詩集『ねぷた』は、高木恭造の『まるめろ』とともに津軽方言詩の記念碑的詩集となった。

 

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高木恭造

 

高木恭造(たかぎ きょうぞう)

明治36(1903)年10月12日~ 昭和62(1987)年10月23日

詩人、小説家

青森市米町に生まれる。官立弘前高校を卒業後、青森日報社で福士幸次郎の指導を受ける。満州医科大学を卒業後、眼科医となり、戦後は弘前で医院を開業しながら創作活動を続ける。津軽方言詩集『まるめろ』が自らの朗読で脚光を浴び、海外にも翻訳された。

 

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平田小六

 

平田小六(ひらた ころく)

明治36(1903)年11月1日~昭和51(1976)年5月18日

小説家、評論家

父の勤務地の関係で秋田県大館町(現秋田県大館市)に生まれる。旧制弘前中学卒業後、しばらくの間地元で教職につくがやがて上京。新聞記者をしながら書いた小説「囚はれた大地」が、「プロレタリア文学の新星」と文壇の注目を浴びる。戦後はもっぱら評論活動に励む。

 

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太宰治

 

太宰治(だざい おさむ)

明治42(1909)年6月19日~昭和23(1948)年6月13日

小説家

北津軽郡金木村(現五所川原市)に生まれる。本名・津島修治。旧制青森中学校、官立弘前高等学校を経て、東京帝国大学文学部仏文科に進学のため上京。中学時代から創作活動に興味を持ち、同人雑誌を作るなど様々なペンネームで作品を発表していた。『斜陽』『走れメロス』『人間失格』など、その著作は今日も多くの人びとに読み継がれている。

 

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今官一

今官一(こん かんいち)

明治42(1909)年12月8日~昭和58(1983)年3月1日

小説家、詩人

弘前市西茂森町に生まれる。東奥義塾に在学中、福士幸次郎と出会って文学への目を開く。上京後、太宰治、檀一雄らと交流して創作活動に励み、昭和31年『壁の花』で青森県初の直木賞を受賞する。晩年は病気のため弘前へ帰る。

 

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石坂洋次郎

 

石坂洋次郎(いしざか ようじろう)

明治33(1900)年7月25日~昭和61(1986)年10月7日

小説家

弘前市代官町に生まれる。慶應義塾大学文学部に在学中、葛西善蔵を訪ねその影響を受ける。卒業後、教師をしながら作家活動に入り、『若い人』が脚光を浴びる。戦後の昭和22年、『青い山脈』がベストセラーとなり、映画化もされたその主題曲は現在も歌い継がれている。昭和41年、菊池寛賞を受賞。

 

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