北海道・北東北の縄文遺跡群は、1万年以上にわたり採集・漁労・狩猟により定住した人々の生活と精神文化を伝える文化遺産です。北海道・青森県・岩手県・秋田県に所在する17の遺跡で構成されています。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」構成資産位置図
北海道・北東北では、ブナを中心とする落葉広葉樹の森林が広がり、海洋では暖流と寒流が交わり豊かな漁場が生まれました。このような自然環境のもとで、人々は食料を安定的に得ることができたことから、今から約15,000年前に土器を使用し、定住を開始しました。
その後、1万年以上の長きにわたって農耕に移行することなく、気候の温暖化や寒冷化などの環境変化にも巧みに適応しながら、採集・漁労・狩猟による定住を継続しました。この間、土偶や環状列石、周堤墓などにみられるように、精緻で複雑な精神文化を育みました。
北海道・北東北の縄文遺跡群は、農耕文化以前の人類の生活や精神文化を伝える貴重な遺産です。
平成21(2019)年1月5日、ユネスコ世界遺産委員会事務局(ユネスコ世界遺産センター)において「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」として世界遺産暫定一覧表に記載。
平成21年12月11日、史跡大森勝山遺跡が縄文遺跡群の構成資産に加わる。
平成25(2013)年3月29日、資産名称を「北海道・北東北の縄文遺跡群」とする。
令和元(2019)年12月20日、世界文化遺産の推薦が決定。
令和2(2020)年秋、ユネスコの諮問機関である国際記念物会議(イコモス)が現地調査を実施。
令和3(2021)年5月26日、イコモスより、評価の中で一番評価が高い、世界文化遺産リストへの「記載」勧告が示されました。
令和3年7月27日、第44回世界遺産委員会拡大会合において、世界遺産一覧表への記載(世界遺産登録)が決定されました。
約4,200年前(縄文時代中期の終わり頃)になると寒冷化が進み、大規模集落の維持が困難となり、約4,000年前(縄文時代後期)には集落が分散するようになります。また、集落は丘陵や山地にも作られるようになります。その中で、当時の人々はみんなが集まる共同の祭祀場・墓地を作り、祭祀・儀礼を通じてムラ同士の紐帯・絆を確かめたりしたようです。
このような背景の中で、環状列石は作られたと考えられており、縄文時代後期の環状列石が北東北や北海道で数多く見つかっています。この頃の環状列石では、石の下や環状列石の内側や周囲において、集団墓(共同墓地)も見つかっています。集落の外にみんなが集まる場として、祭祀・儀礼・墓地の場を構築・維持管理していたようです。
約3,000年前(縄文時代晩期)になると、祭祀・儀礼が充実し、共同の祭祀場や共同の墓地が顕著となります。その中で、共同の祭祀場と墓地は別々に作られたと考えられています。
大森勝山遺跡では、組石の下や環状列石の内側や周囲において集団墓が見つかっていません。どうやら遺跡の外に集団墓を作っていたようです。また、遺跡の近くには遺跡が存在せず、少し離れたところからこの地へ集まっていたようです。
このことから、大森勝山遺跡は祭祀・儀礼に特化した場として使われていたと考えられています。そのため、大森勝山遺跡は縄文時代の祭祀・儀礼の変遷を考える上で、重要な遺跡であると言えます。
大森勝山遺跡は、共同の祭祀場を示す事例として、また、山岳地帯における生業と高い精神性を示す重要な遺跡です。
※大森勝山遺跡は、国内で唯一、発掘調査により晩期の環状列石の内容が把握された遺跡として国の史跡に指定されています。
縄文遺跡群世界遺産事務局(三内丸山遺跡センター 世界文化遺産課内)が運営するホームページ「北海道・北東北の縄文遺跡群」では、大森勝山遺跡ほか、各構成資産を紹介しています。
各構成資産の情報を一元的に保存し、提供する「アーカイブ」のコーナーもあり、申請を行うと、どなたでも無料でダウンロードできます。
利用の仕方や利用規約など、詳しくは「北海道・北東北の縄文遺跡群」のホームページをご覧ください。
他の構成資産については各構成資産のホームページをご参照ください。なお、各構成資産では、他の時期の遺構や遺物の出土事例もありますが、下記の「~~」内の年代は、縄文遺跡群全体の顕著な普遍的価値に貢献する構成資産としての年代を示しています。
※顕著な普遍的価値…国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性を有するような、傑出した文化的な意義及び/又は自然的な価値(「世界遺産条約履行のための作業指針」第49段落)
詳しくは「北海道・北東北の縄文遺跡群」用語集(「北海道・北東北の縄文遺跡群」ホームページ)をご参照ください。
【青森県】8構成資産
・史跡大平山元遺跡(外ヶ浜町)~旧石器時代の遊動から縄文時代の定住へと生活様式が変化する様子を示す重要な遺跡~
・史跡田小屋野貝塚(つがる市)~縄文時代前期の貝塚を伴う集落であり、内湾地域における生業や集落の様子を示す重要な遺跡~
・史跡二ツ森貝塚(七戸町)~縄文時代前期を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡~
・特別史跡三内丸山遺跡(青森市)~縄文時代中期を中心とした大規模な拠点集落であり、内湾地域における生業や、大規模な拠点集落と祭祀・儀礼の多様性を示す重要な遺跡~
・史跡小牧野遺跡(青森市)~縄文時代後期の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、丘陵地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
・史跡亀ヶ岡石器時代遺跡(つがる市)~縄文時代晩期の大規模な共同墓地であり、高度な精神文化を示すとともに、内湾地域の汽水域における生業及び高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
・史跡是川石器時代遺跡(八戸市)~縄文時代晩期の多様な施設を伴う集落であり、河川流域における生業や高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
・史跡大森勝山遺跡(弘前市)
【北海道】6構成資産
・史跡垣ノ島遺跡(函館市)~縄文時代早期の集落遺跡であり、沿岸地域における生活や、耐久性があり長期間居住できる竪穴建物の出現、日常(居住域)と非日常(墓域)の空間の区別など、集落の様子や精神文化の変遷を示す重要な遺跡~
・史跡北黄金貝塚(伊達市)~縄文時代前期の貝塚を伴う集落であり、沿岸地域の生業や、海進・海退といった環境変化への適応、貝塚や水場での祭祀・儀礼などの高い精神文化を示す重要な遺跡~
・史跡大船遺跡(函館市)~縄文時代中期の祭祀場である大規模な盛土を伴う拠点集落であり、沿岸地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡~
・史跡入江貝塚(洞爺湖町)~縄文時代後期において、共同の祭祀場や墓地を支えた周辺の集落の典型であり、沿岸地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡~
・史跡キウス周堤墓群(千歳市)~縄文時代晩期の大規模な土手で囲まれた共同墓地であり、内陸地域における生業と独特な構造の墓地を構築する高い精神性を示す重要な遺跡~
・史跡高砂貝塚(洞爺湖町)~縄文時代晩期の貝塚を伴う共同墓地であり、沿岸地域における生業と高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
【岩手県】1構成資産
・史跡御所野遺跡(一戸町)~縄文時代中期の配石遺構を伴う墓域と祭祀場である盛土を伴う拠点集落であり、内陸の河川地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡~
【秋田県】2構成資産
・史跡伊勢堂岱遺跡(北秋田市)~縄文時代後期の4つの環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業及び祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
・特別史跡大湯環状列石(鹿角市)~縄文時代後期の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡~
縄文遺跡として顕著な価値を有しており、縄文遺跡群と関連が深く、一体的に保存活用を図っていく資産です。
・史跡長七谷地貝塚(青森県八戸市)~縄文時代早期に当時の人々が、海洋資源に合わせた釣漁や刺突漁の漁労方法を編み出したと考えられ、漁労を中心とする生業・食生活や当時の自然環境を知る上で重要な遺跡~
・史跡鷲ノ木遺跡(北海道森町)~縄文時代後期の環状列石や竪穴墓域(大きさ11.6×9.2メートルの竪穴の中に、土坑墓や、供献品や墓標を設置する穴)を有しており、当時の祭祀・儀礼や精神世界を知る上で重要な遺跡~