大森字勝山に所在する大森勝山遺跡は、市中心部から北西約14km、大森集落から南西約2km、標高130~150m前後に位置しています。
岩木山(標高1,625m)の火山活動により形成された火山麓扇状地[かざんろくせんじょうち]中の斜面地の中でも、赤倉沢を源流とする大石川と大森川に挟まれた、半ば独立した舌状台地[ぜつじょうだいち]上に立地しており、周辺の地形とはやや異なった様相を示しています。
岩木山と史跡範囲(2007年、北東から)
大森勝山遺跡では、昭和30(1955)年頃計画された岩木山麓の大規模開発に先立ち、昭和34~36(1959~1961)年に発掘調査が行われました。
調査の結果、大型の竪穴[たてあな]建物跡や環状列石、屋外炉跡[おくがいろあと]、集石遺構[しゅうせきいこう]などの遺構が発見され、旧石器や縄文時代前期から晩期の遺物が出土しました。
出土土器の様相から、竪穴建物跡は縄文時代晩期初め頃(約3,000年前)の可能性が高いことがわかりましたが、環状列石の時期については縄文時代晩期の可能性があるものの、確定できませんでした。
これらの調査成果を受けて、市は遺跡の保存を決定し、昭和36(1961)年に遺跡範囲の大部分を公有化しました。
調査地と岩木山を望む(1960年、北東から) |
台地を縦貫する試掘坑(1959年、南西から) |
昭和60(1985)年、昭和期の発掘調査担当者である故村越潔氏(弘前大学名誉教授)より、市に対して「遺跡の保存と活用について」と題した、大森勝山遺跡の保存・活用に関する取組が提言されました。市ではこの提言を受けて、翌年より荒蕪地となっていた遺跡内での草刈りなどの維持管理事業を開始しました。
平成17(2005)年、市は、文化庁からの国史跡指定に向けた取り組みへの打診を受け、平成18~20(2006~2008)年の3か年計画で遺跡の再調査を行うこととなりました。
この調査の結果、環状列石の時期が縄文時代晩期初め頃(約3,000 年前)であることが確定しました。また、台地上部の環状列石周囲において広く整地が行われ、環状列石内部及び南西部への盛土が行われるなど、大規模な土木工事が行われていたことも判明しました。
※現在、環状列石や大型竪穴建物跡等の遺構は、保護のため埋め戻されています。
この昭和期と平成期の2つの調査成果により、大森勝山遺跡は平成24(2012)年9月、国史跡に指定されることになりました。
再検出された環状列石(2006年、西から) |
環状列石下部調査風景(2007年、北東から) |
竪穴建物跡の調査風景(2008年、南東から) |